母親の選択 【第2話】 幕を閉じた少女

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私は50歳になった。

子供の時よりも人の人生が終わることにショックを受けなくなった気がする。

子供の時はお葬式に連れていかれるのも怖かった

夜のトイレも怖かった

お化けが出そうで

それくらい抵抗があったのに…

お葬式に参列するたび抵抗を受け入れていった

会社の上司、後輩、父親、幼馴染

そう幼馴染…

「ゆみこ~くさいぞ~!便所閉めろよ~」

ゆみこ

トイレ怖いの



今でも頭に残っているこの言葉

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目次

かわいい妹

時は
1982年


ワニオ8歳(小学2年生)

1982年(昭和57年)洋画ランキング

順位タイトル名配給収入
1位E.T.35.5億円
2位ミラクル・ワールド ブッシュマン23.7億円
3位キャノンボール20.7億円
4位ロッキー316.7億円
5位少林寺16.5億円
6位レイダース 失われた聖櫃<アーク>13.8億円
7位エンドレス・ラブ11.1億円
8位マッドマックス29.8億円
9位ドラゴンロード6.0億円
10位ザ・カンニング〔IQ=0〕5.8億円
引用元:年代流行

たしかブッシュマンは、空から空き瓶が落ちてくるところから始まるんだったかな。

E,Tも流行ったのにお母さんは映画を観に連れていってはくれなかった、かわりに買ってくれたのはE,Tの塗り絵!子供だと思ってバカにするにもほどがある!と言っても字幕が読めなかったから仕方ないか。

昔の洋画は吹き替えなんてなかったから、お子様はテレビ放送を待つしかない、一度家族でスターウォーズを観に行ったけど映像を観るだけだったから、何もわからないまま終わった。



このボロアパートに一組の家族が引っ越してきた。

それは4人家族、お父さんお母さんと2人の子供、ひとりは男の子でこういち(7歳小学1年生)もうひとりは女の子のゆみこ(6歳幼稚園生)。

年寄りか土方のおじさんしかいなかったアパートに越してきた年のちかい子供に私は喜んだ、そしてすぐに仲良くなる。始めは兄のこういちだった。

こういちはガリガリの色白で、もやしっ子

もやしっ子とは…「痩せてて背の高い子」「色白で体力のない子」に使う皮肉、侮辱的な表現。らしい。



私は小学1年生から地区の野球チームに入っていて、いつもはひとりで壁あてだったが、それを見ていたこういちから教えてと言ってきたんだ。もちろん私のグローブを貸してあげて2人でかわりばんこで遊んだ。
楽しかった。自分だってそんなに、というか全然うまくはないのに、その気になってレクチャーして。

ある日から妹のゆみこもくっついてくるようになる。まだ幼稚園に通っている幼くかわいい子。

私は下がいない末っ子なので、こういちもゆみこもかわいくて仕方がなく学校が終わってからも日曜日も遊んだ。

こういちがいない時はゆみこと2人で遊ぶこともよくあった。

ゆみこは人懐っこくて気がつくと私の横にぴったりとくっつき、私の手を見ている。なぜかというと、ゆみこは手をつなぐことが大好きなのだ、それが彼女の愛情表現のようでもあった。

こういちとキャッチボールをしている時も、私がボールを投げ終わった瞬間に私の手を握ろうとする。

ゆみこ

ワニオお兄ちゃん

そう、いつの間にかゆみこは私を好きになったようだ。

たぶん。

ゆみこ

ゆみこと遊んだことといえばおままごと!

いつもいつもキャッチボールを見ているだけではかわいそうなので、たまにはゆみこにやりたいことを聞いて遊ぶ、何をしたいか聞くと決まって…

ゆみこ

おままごと!!おままごと!!

私もこういちも嫌だけど2人ともかわいい妹のために我慢するしかない。

決まって私が旦那さん役、ゆみこは奥さん、こういちは子供。私が会社を帰ってくるところからおままごとは始まる。

ゆみこ

おかえりなさーい!
お風呂行ってきてー!
ご飯作っているから

お風呂の無いボロアパートならではの光景だ。敷物のゴザから出てアパートを一周回る、

ゆみこ

お風呂気持ちよかった?
はい!
めしあがれ!

私がアパートを一周回っている間に目玉焼きとハンバーグ、付け合わせの人参もこしらえる。

ここでもお約束がある、

それは、子供役のこういちが人参を残すのだ!

ゆみこ

こういち!
好き嫌いはダメ!
食べなさい!

こうして、最後は川の字で寝る。いや川の字にはならない、ゆみこ、こういち、私だから、携帯のアンテナだ。



私がいきつけの駄菓子屋にもよく連れていった。

飲み屋ではない。

もちろんゆみこはお金をもっていないから私のおごり、50円を2人で割って使う。

ゆみこが好きなのは、このさくらんぼ。けっこう高かった、20円?30円?

でもワニオお兄ちゃんはおごります、自分はこれでがまん。

オレンジ味、それに飽きたらグレープ味。すぐに味がなくなるけど。

ゆみこはさくらんぼをちょっとずつ時間をかけて食べる。

私のガムはすぐに終わって空き箱にペーっとする、とゆみこはそれを見て家に急いで戻り、私に自分の家のお煎餅を持ってきてくれるんだ。そんなところがかわいくて。

で、私も子供です、一袋ぺろりと食べるとゆみこはすぐにまた持ってきてくれる。

ゆみこは気前がいい。私が図々しいのか。ゆみこの家のお煎餅がこれまた美味しかった。

1年くらいそんな日々が続いたと思う、


あんなことがあるまでは。

引っ越していく家族

毎朝ボロアパートに響き聞こえてくる、ゆみこのお父さんの声。

「ゆみこ~くさいぞ~!便所閉めろよ~」

実はこのボロアパートは汲み取り式便所、俗に言うぼっとん便所。

こんなぼっとん便所です!
観覧注意

小さい時、上野動物園で買ってもらったパンダのぬいぐるみをぼっとん便所に落として1日泣いていたら、お母さんが後ろの汲み取り口から取ってくれたっけ。
キレイに洗ってくれたけど臭くて捨てた。
それ以降大事なものはトイレに持っていかなくなったと思う。
あの時はパンダが好きすぎて肌身離さず持っていたんだよな。

でも1年後くらいにウルトラマンセブンの塩ビ人形も落とすというおバカっぷり。

ゆみこ

トイレ、怖いんだも~ん!

毎朝この会話が私の家まで聞こえてくる、臭いのはわかるが、子供には怖いに決まっている。

私だって怖かった!なんだか下から手が出てきそうで。だってドリフの8時だよ全員集合のコントでやっていたから、ぼっとん便所の下からおでこに三角形の鉢巻きをした女のお化けが出てくるやつ。
志村も加トちゃんも「うわ~~~」ってなってた。

これめちゃくちゃ怖いでしょ

この会話が聞こえてくると、私とお母さんは目を合わせて声を出さずに笑う。

「ゆみこ~くさいぞ~!便所閉めろよ~」

ゆみこ

トイレ、怖いんだも~ん!





ある時、私はなにかおかしいと思った!

ゆみこのお父さんが毎日家にいること、仕事をしていないのか、体調が悪いのかはわからなかったが、いつも家の周りをフラフラしていた。

容姿はこういちと一緒でガリガリで顔色は悪く、髪型はパンチパーマだったであろう、今は伸びきってアフロ。

石垣島の英雄、具志堅用高さんを物凄く弱くしてジャージを着せた感じ。

いつも自転車を磨いていた、どこにもいかないのに。

当時はなかなか見ないサイクリング車。ご自慢の一品という感じだ。

お母さんに聞いたことがある、ゆみこのお父さんは病気で入退院を繰り返しているらしいと、だから仕事ができずに貧しい、私のお父さんは遊び人で家が貧しいが。

突然だ!

突然ゆみこ家族はいなくなった。

さようならも言わずにいなくなった。

私が学校へ行っている間に

いなくなった

その日からだいぶたった夜にお母さんが話してくれる。
ゆみこのお父さんが自ら命を絶ったということ、当時はノイローゼだと言っていたが、今でいううつ病というものだろう。そしてこのボロアパートよりももっと安いん県営住宅に引っ越して行ったこと。
私は子供ながらにショックだった、こういちやゆみこがいなくなったのもそうだが、つい先日まで「ゆみこ~くさいぞ~」と大声で叫んでいた人がこの世にはいないということが。怖くて鳥肌が立ったのをよく覚えている。

それでもお母さんたちはつながりはあるようで、時たまこういちゆみこの話はお母さんが話してくれた。

同じ市内の県営住宅だが、当時の私にはとてつもない遠くに感じたから、遊びに行こうとも会いに行こうとも思わずに自然とふたりのことは忘れていく。

当時最後に聞いた話は、ゆみこが中学生の途中から学校を行かなくなったという話、素行が乱れたわけではなく、引きこもったらしい。



そして、高校へは行かずに仕事をして、仕事先のえらく年の離れた男性と結婚をした。ゆみこの歳は16歳。

私が18歳、高校3年生も終わる頃にお母さんが、ふとそんな話をしてくれた。

「えー!結婚って18歳からでしょ?」とお母さんに言った記憶は鮮明だ。おバカ男子。

その記憶も薄まる前にあの日になった…

どうして?ゆみこ

1993年(平成5年)
私、19歳
ゆみこ、16歳


お母さんが毎日買い物に行っている、スーパー木田屋の駐車場横にある古汚い団地。

ここに新婚のゆみこが住んでいるということはお母さんから聞いてわかっていた。

いつもより早く帰ってきたお母さんが言う!

「木田屋の横の団地に警察やら消防車やら凄くて買い物できなかったわよ!何かしらね?今日はあるものでご飯ね」

すぐにゆみこのことが頭に浮かんだ。

「あんた覚えている?ゆみこちゃん」

もちろんだ、つい最近16歳で結婚というショッキングな話を聞いたばかりだ、しかもお父さんくらい年の離れた男と。

その話を聞いた時は、父親が早くに亡くなった影響がデカいのかなと思った、なんだかんだお父さんにいつも甘えているゆみこを知っていたから。お父さんもかなりゆみこを可愛がっていたし。

「ゆみこちゃんに何もなければいいわね~」

消防車と聞いて、きっと火事かボヤかとも思った、当時はガス漏れなんかも多い時代だったこともある。

私は野次馬根性で見に行こうかとも思ったが、新婚のゆみこに会うのも気が引けるので、ハラハラした気持のまま、お母さんとご飯を食べる。

食卓の会話はゆみこたちとの思い出話だったと思う。

次の日、お母さんが仕事から帰ってきてすぐに、荒い息遣いでこう言った!

ゆみこちゃんが
自ら命を絶ったって

ゆみこは16歳

新婚

幸せの絶頂だったのではないのか?

たしかに中学はいけなくなったりしていたが?

残されたお母さんや

兄のこういちは大丈夫なのか…












話を聞いた時、血の気が引いて、動悸が凄く立っていられなく座り込んだ。気持ち悪くもなった。

私は生まれて初めて、人の死を真剣に考えた瞬間だったと思う。

儚さ?

怖さ?

生きている意味?

幸せ?

ゆみこは幸せだったのかな?

引っ越してからどんな人生だったの?

何があったんだ?

何を悩んでいたんだ?

素直でかわいい妹のような

ゆみこを助けてあげることができなかった



真実は何も誰もわからないまま

時は通り過ぎていく…


私は、その日からゆみこの亡くなった年齢16歳よりも長く生きた人のお葬式は、辛くなくなった。

今でも鮮明に覚えている!

ゆみこ

ワニオお兄ちゃん
手をつなごう!
手をつないでぇ!











私がそんな人生というものに打ちひしがれているさなかのこと…


金曜日の夜にお母さんは出掛けることが多くなっていった…


私の夕飯は朝に作ってあったが、明らかになにかがおかしい…


出掛けて遅いといっても21時には帰ってくるが…




つづく



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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 看護学生時、実習先でその日、一日で10代の若者、2名の自殺者のご遺体を見ました。死因は伏せておきます。命に関わる仕事を目指しているのに、衝撃過ぎてこの時、一度だけ看護師の仕事を諦めかけました。ご遺体に対する衝撃もあったのですが、その方たちは、なぜ死を選んだのか、生きる手段はなかったのかなど気持ちがその方たちに宿ったかのように、考える日々に精神的に参ってしまったんだと思います。未だその光景は目に焼きついていてます。親御さんの名前を呼びながら泣き叫ぶ声、亡くなったが本人もお辛かったとは思いますが、残されたご家族はこれからこの死をどう受けて生きていくのか、ワニオさんも、私も子どもがいます。
    先立つ子ども、しかも自ら命を断つことを想像しただけでも苦しくなります。
    ゆみこちゃんがなぜ死を選んだのか、お父さんが亡くなったことが関係しているのか、早くに結婚をされたことも何かあるのか、ゆみこちゃんにしか苦しみはわからないと思います。周りに相談する人はいなかったのか。
    人は笑っていてもわからないものです。苦しみ、悲しみを抱えている人はいます。
    周りの人が、家族が、友達が誰かが気づいてあげることができたら助けられる命があると思います。
    生きているうちに、どうにかできることはあると思います。
    ワニオさん、わたしたちにもできること、あると思いませんか?
    長文、失礼致しました。
    お母さんの金曜日の行動、気になりますね。
    次回作、楽しみにしています。   めめ。

    • めめ様コメントありがとうございます。
      とても辛く貴重なお話をありがとうございます、当時の私は、兄のこういちやゆみこのお母さんの居場所はわかっていても、目を反らしていたと思います。なぜこんなことになってしまったのか?ふれないことで自分を守ったような。その後、この経験から人をよく見るようになりました。関わる人を守ることができるように努力もするようになったと思います。

      はい、私たちにできることはたくさんあります。
      ですよね、めめさん。

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