30年も前の話になります。
私は高校を卒業後、とある港湾の倉庫でフォークリフトに乗ってまして、船やトレーラーから搬入されてくるパレットに乗っかった粉ものとかレンガなどを、種類別に並べ替えたり出庫しておりました。
やはり港湾関係は若い人が少なく、私が19才でその上は40代という感じでなかなかなじめずに休み時間は1人でフォークリフトの練習をよくやっていたものです。そんな中同じ倉庫内でもう一つの委託業者があり、その会社に2つ上のお兄さんが私を気にかけてくれて徐々にお昼休みなどは一緒にいることが増えました。
お兄さんはアルバイトでフォークリフトに乗っていて、将来はオートバイの国際A級ライダーを目指しているのだと、お兄さんは車通勤で大きなワゴン車の後ろにはレース専用のオートバイが積んでありました、もっぱらお昼はそのバイクのメンテナンス作業をしてるお兄さんを見ながら過ごす日々でした。
夏には「ワニオ君!日焼けしようぜ!」なんて土手で2人でオイルを塗って寝転がったりもしてましたよね、良い思い出です。
1年近くそんな青春を過ごしてましたが、ある時、私のほうの会社の上司と大喧嘩になってしまい(よくわからないのですが、一つの倉庫を二つの会社で使っているので度々ありました)、もともとお兄さんはアッツイ人でスパッと辞めてしまいました、当時はまだ携帯などない時代で、タバコの箱にマジックで家の電話番号を書いて「ワニオ君!今までありがとう、楽しかったよ!何か困った時にはここに電話してくれ!ごめんな!」とだけ私に言うために朝会社で待っててくれて、そのまま帰っていきました。
その後連絡を取ることはありませんでした。もし今のようにラインとかあればもっと交流あったのかな?なんて思いますね、家電話ってなんかアレですよね。
初めての後輩
その後は、入った時のようにお昼休みは自分のフォークリフトの運転席でボーっとしていることがほとんどでした。
そんな時、17歳のブラジル人マルコスが入って来ました!
マルコスの紹介
お父さんは日本人、お母さんがブラジル人でお兄さんもいる。両親はもともと日本で結婚をしたが、すぐに離婚をしてお母さんといっしょにブラジルで生活をする。日本語は全くダメ、お兄さんは先に日本のお父さんを頼りに出稼ぎに来ている。お父さんはトラックの運転手をしていて、住まいは運送会社の寮で(昔ながらの団地のようなところ)今は別の人と結婚している(フィリピン人)。
お父さんのいる家の扉向かいのところにお兄さんとマルコスは暮らしている。
風貌は、私の第一印象だとオメガトライブとカルロストシキのカルロストシキを幼くした感じです、そしてちょっとぽっちゃりな。杉山清貴ではないのでご注意ください!
上司から後は頼むよと、年の近いのはお前だけだからな後輩も欲しかっただろと、突然押し付けられました、日本語ブラジル語(ポルトガル語)翻訳本だけ渡されて。今ならスマホアプリでもっとコミュニケーションとれたんだろうな!
トラック運転手のお父さんの紹介で入ってきたみたいです、作業服の着方からタイムカードのやり方などマルコスはずっと私にくっついていました。すごく素直で可愛かったですし、人種は関係なく初めての後輩でしたので私も嬉しくて本を見ながら一生懸命会話をしました。
「ブラジルで有名な日本のものは?」
レガンシ! レガンシ!
なんだ?レガンシってなんだ???この会話だけでお昼休みは終わります。
ハンドルを回すようなジェスチャー!レガンシ!
ボ、ク、ホ、シ、イ、ブー、ブー、タ、カ、イ
当時、車のラリー選手権などで活躍していたスバルのレガシーのことでした!ブラジルでは日本車は人気で高級車だそうです。
季節は冬です!
ボ、ク、サ、ム、イ、ダ、メ、
今のようにUNIQLOヒートテックや極暖などない時代なのでとにかく普通の洋服の重ね着です。
頭には分厚いニット帽からのヘルメット「全然かぶれてないよ」
首には分厚くて長くて先っちょにひだひだがいっぱい付いたマフラーグルグル巻き「首回らないよ」
上着は昔ながらのミシュランタイヤのキャラクターみたいなダウンジャケットからの作業服2枚「ボタンはまってないよ」
下はゴワゴワのスエットからの作業服「ボタンもチャックも閉まってないよ」
分厚い靴下3枚からの革の安全靴「蒸れちゃって帰りの更衣室匂ってるよ」
最後の最後で丈の長い防寒着&ホッカイロ(張るタイプじゃない)。
どんだけー!!
仕方ないですよね、ブラジルは熱い国ですからね!
「ただね!マルコス!それじゃあ動けないよ!」
コロンコロンで、仕事よりも寒さと必死に戦ってるマルコスもまた私には可愛くもありましたが、オッサン達にはブチギレられてました。いかんせん持ち場に歩くだけでフーフー言ってましたから。
つづく
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