私は49歳
ここまで
大きな病気もなく
結婚して子供も2人できた。
子供たちも
妻のおかげで何ひとつ心配なく
すくすくと育っている。
仕事も順調にお給料も上がった。
人生に少しばかりの余裕ができたのか
ふと考える。
お母さんと一緒に生きられる時間
あと何年だろうかと・・・
私49歳 母親78歳
東京は亀戸
親子の散策日記
亀戸といえば、船橋屋のくず餅。
おばあちゃんが家へ遊びにくるときは必ず買ってきてくれたもの、思い出の味でもある。
今はネットでどこでも手に入るので便利なのか、風情がないのか。それでも買えるのは嬉しいですよね、もちろん今回も買いました。お母さんが。
子供の時から好きなのでいろいろな所で食べてきましたが、やはり元祖というだけあって船橋屋のが、ダントツに美味しいです。
この蜜が入った入れ物も船橋屋独特、船のような形で、子供の時は、食べ終わった後洗ってお風呂に浮かべて遊んでいた。
びちっとくっつき並んだくず餅を割るのも楽しくて、お母さんに「割らせて割らせて」と無邪気に喜んだ時も。
おばあちゃんとくず餅の思い出でした。
思い立ったが吉日
2024年 2月 12日 (休日)
恥ずかしながらも、仕事のない休日には、くだらないブログを書いている私。
週末は執筆活動に追われているが、土日でうまく終わり、三連休最後の月曜日にぽっかりと時間ができた。
きっかけはこれだった。
私の寝室にある神棚的な感じの場所に置いてある、子供の合格祈願の御札。
あれっ、次男は高校一年生もあと数ヶ月で終わるのに、まだお礼をしていないぞ!
受験前には必死になってお願いしていた合格祈願、受かってしまえばこっちのもんだ。人間て勝手。違う私が都合がいい人間なのだ。
いやいやいや、しっかりとお礼をして返してこようと。
その場所は亀戸。
亀戸天神
なぜ亀戸天神なのか?
それは私のおばあちゃんがそばに暮らしていて、子供の時によくお母さんに連れられて、遊びに行ったところだったから。
そう亀戸という街は、今は亡きおばあちゃん家、すなわちお母さんの実家があった場所なのだ。
お母さんはお嫁に行くまでここに暮らしていたらしい。
しかしおばあちゃんが亡くなってからは、私もお母さんも何年、いや何十年も行ってはいない場所。
私は子供時代のお母さんとおばあちゃんの思い出!
お母さんには青春の思い出!
そんな場所が亀戸。
ゆっくりと起きた朝、8時。う~ん天気がいい、2月だとは思えないほどあたたかい。
ピーカンだ。ピーカン?きっと世界で私だけが使った言葉だろうと思いながらコタツに入る。外はあたたかいが家の中は寒い、まあ、寒くなくてもコタツに入る習性がある私。
休日といってもテレビは平日、つまらない。それもいいのかもしれない、だってたまには会社をズル休みしたくなるけど、テレビがつまらないから仕事行った方がましかと思うから。
そこでやっと本題にたどり着く!
そうだ!!
亀戸天神に
行こう!
そうだ
京都へ行こう的な
JR
妻は平日の仕事、育児にお疲れの様子。といっても子供は大学生と高校生だけど。でも疲れているのは確かだ。いつもお疲れ様です。
こちらもここでやっと本題に到着。
そうだ!!
お母さんを
誘おう!
思い立ったが吉日という!
なるほど、そういうことか。
電話しよ。
「もしもしお母さん」
お母さんはすぐ電話に出た!
しかし毎回思うけど(もしもし)って必要かな、でも(もしもし)から入らないとなんか感じ悪いし。まあグタグタ考えても自然に(もしもし)って言っちゃうし。
どうでもいいか。
/♪もしもしカメよ♪のもしもしは電話のもしもし?/
「体調はどう?」
「お母さんはいつも元気よ」
「今日、時間ある?」
「お母さんはいつも時間あるわよ」
「亀戸に行くけど、どう?」
「え~、連れていってくれるの~」
「電車でだけど。歩ける?大丈夫なの?」
「わ~嬉しいわ~、お母さんは歩くの好きよ、ぜんぜん大丈夫よ~」
「じゃあ準備して亀戸駅で待ち合わせね」
「はいよ」
あっ、電話っていってもライン電話ね。あんがいとスマホをうまく扱うお母さん。
母親は、亀戸まで歩きと電車で1時間ほどの千葉県にアパート一人暮らし。私も亀戸までは1時間の千葉県に住まいがある。
さあ準備して行ってみよう。
早いって
私が亀戸に行く時に乗る、総武線といえばこの黄色い電車。
今は黄色いラインは残っているけど、やっぱりこの黄色だよな。
子供ながらにこの黄色の電車とこの1番上にある、ジュウシー&フレッシュガムがセットで記憶にはまっているの。
ずっとフルーツガムって呼んでたけど、ちゃんとした名前はこれね。
まだパジャマ姿だったから、急いで準備してもそれなりに時間がかかって。
急いで家を出る。
なんで急ぐのかって!
昔からお母さんは早い。
口癖は「人を待たせるな」。
私が幼稚園ごろだっただろうか。
子供関係の親子お出掛け会。
兄と私を連れて待ち合わせの場所に行くお母さん。
誰もいない殺風景な待ち合わせ場所に、ポツンとお母さんと手をつなぎ立ち尽くす3人。
小学生兄、真ん中にお母さん、その横に私。
「山」という漢字のようになっている。
兄とお母さんはジッと立ち尽くすなか、私はお母さんの足先に座って地面と遊ぶ、
お母さんはわかっているから自信満々に待ってはいるが、私は子供ながらに間違った所に来たんじゃないかと不安だった、きっと兄もそうだと思う。
いつもそうだ。次に誰かが来るまで不安だった。
お母さんは早い!
早すぎる
急いでいった
のに
すでにいた!
改札を出るといた。
誰だかわからないくらいの防寒装備でいた。
でも不思議とわかる、親子のシンパシー?
なんだそれ?わからないけどわかるシンパシー。
「同じ電車だったんじゃない」
「違うわ、2本前の電車」
だから早いって!
お母さんも私も亀戸までは方向が違うにしろ同じくらいの距離なのに。
あの頃と同じように自信満々で立っていた。
「まあ~嬉しいわ、あんたが誘ってくれなければ、お母さん、ここへはわざわざ一人ではこないもん。懐かしい、幸せよ」
お母さんはこの言葉を何回も何回も言った、書くのは面倒なのでこの先は割愛させてもらおう。
やっぱり
相変わらず
お母さんは早かった。
裏道
亀戸駅を出て歩き出した。なんかしっくりこない、そうだ、私はお母さんの背を超えた頃から、並んで歩くことなんてしなかったからだと思う。違和感のあるまま歩く。
お母さんと並んで歩くのも何十年ぶり。しかも2人で。そして亀戸。
少なく見積もっても40年は立っていると思うとなんと親不孝なんだろうと、反省はしない。
だって私だって自分の人生を頑張っているんだから。と自分に言い訳をしながら進む。
ここで早速ちょいモメ。
なぜかというと!
私の懐かしい通りは表通りなのだ、子供の時なのでお母さんは大通りを歩いておばあちゃん家に向かったのだろ。亀戸駅前大通りは休日のお昼になると歩行者天国になることもあって、こちら側のほうが私にとって思い出深い。おもちゃ屋さんもあったし。
お母さんもそうじゃなかったのかなぁと思っていたけど。
「お母さん、裏道歩きたい」
あれ?裏道に私とお母さんの思いではないはず。
お母さん
学生時代いつもここ歩いていたのよ
ここで気づいた!
私はおばあちゃんとお母さんの思い出探しにここに来たけど、お母さんは自分の青春を探しにここに来たんだって。
気づくと同時に…
お母さんは年をとったんだなぁ~って思う。
だって子育てを懐かしむも通り越して、青春時代の思い出を懐かしむにいっているから。
わかったよ、裏道行こう。
亀戸餃子は一度だけおばあちゃんに連れられてきたことがある。
でもいい思い出はない。
実はこのお店は一人10個(2皿からの注文、今でもお店のルールだと思う)がノルマなのだ、5歳くらいだった私は一皿も食べれなかった。
おばあちゃんが困った顔で必死に食べきっていた記憶しかない。
なんて傲慢な酷い店だろうとお腹いっぱいで活気のある店内と、無理やり食べているおばあちゃんを見ていて怖くなってしまったのね。なんだか無理やり感が子供には怖かったのかな。
今なら食べれるけど。すでに長蛇の列だった。
お母さんは亀戸餃子には入ったことはないらしい。おばあちゃんは孫を連れていくけど、娘はつれていかなかったようだ。不思議。
一生懸命に探していたのは、当時の喫茶店。
もちろんなくなっていた。となると亀戸餃子はすごいよね、半世紀以上続いているお店なんだから。
創業1956年だって。亀戸餃子本店のホームページはここから。
おばあちゃん家
「俺さ~おばあちゃん家までの道を忘れちゃったけど、お母さんはわかる?」
もちろんよ
ばかね
昔からそうだ、微妙に口が悪い。
この~とか、ばか~とか、このやろ~とか、あんた~とか。
優しい口調で微妙に男っぽい言葉を使う、まあ子供2人が男だから仕方がないか。
お母さんの後をついて歩く。
遅くなったなぁ
歩くスピードが
遅くなった
お母さんと手をつないで歩いた幼少時代。
お母さんは歩くのが早くて、私はいつも手を引っ張られていた。
あっちの壁、こっちの草、いじりたいものがいっぱいあったのに、そんなスキを与えないくらいお母さんは早く歩いたんだよな。お母さんが早いのではなく、私が注意散漫だったのかも。
だから、う〇こもよく踏んだ。それはいいとして。
さすがだ、なにも迷うことはなく裏道を、おばあちゃん家があった場所へとシャンシャン向かう。
亀戸もだいぶ変わったが裏道はまだまだ下町情緒が溢れている感じ。
迷路のような路地を曲がるとおばあちゃん家があったはず。
ちなみに奥に見えるモツ屋はお母さんが学生時代からあるらし、お店は閉まっていてやっているのだかわからなかったが。
おばあちゃん家に近づくにつれて足早になるお母さんを後ろから見ていて、ホントに懐かしくワクワクしている様子に感じる。と同時にどうなっているのか早く確かめたいのかなと思った。
おばあちゃんは亡くなる何年か前に家を、お隣さんに安く譲ってお母さんのアパートに移り住んだのだ。
だからおばあちゃん家もそうだが、お世話になったお隣さんにも挨拶をと考えていたのだと思う、
この路地までは何も変わらずといった感じだったのに…
おばあちゃん家があるはずの、路地を曲がった先にあったものとは?
なんとビックリ!
おばあちゃん家どころかお隣さんすらなくなっていた。
なんだ!
この歴史も何もない鳥居は!
お母さんのガッカリした顔がわかった、止まって啞然とするしぐさが私の心に刺さる。それでもあきらめきれないお母さんは、辺りをなんどもなんども回って、たまたま自転車を洗っている人に、お隣さんの名前を聞いていた。でもわからない。
どうやらぎっちりと詰まった路地を区画整理した様子で、辺りはきれいな住宅が並んでいる。
あの鳥居はなんだかわからないが、私は一応お参りをしたけど。お母さんは立ち入らない、ただただ
そこから
お母さんは無口になった。
亀戸天神の太鼓橋
亀戸天神コレクション
そこから歩いてすぐの所が亀戸天神だ。
まだ蕾がちらほらだったが梅まつり開催中とのこと。
お母さんは昔に、よく通ったという銭湯の場所も確認しながら歩いた。もちろんその銭湯もなくなっていて。「あんたたちもよく連れていったんだから」と。ごめん、まったく記憶にないよ。
昔もそうだったように、今回も裏から亀戸天神に入る。おばあちゃん家から行くと裏から入った方が近いから。神様的にいいのか悪いのかは知らないけど。
そうそう、忘れないうちに御札を返さなくちゃと探した。今の時期は特別に回収ボックスのようなやぐらがあってそこに返しました。しっかりとお賽銭を投入して「無事に合格できました、ありがとうございます」と心でつぶやいて。
よし、最大のミッションは完了。
「お母さん、ご飯でも食べに行こうか」
「・・・・」
「太鼓橋渡ろう」
さっきから無口になっていたお母さんが、私の言葉をまったく聞かずに言った。
そう、この亀戸天神は太鼓橋が有名なのです!
太鼓橋とはこれ!
亀戸天神のど真ん中にそびえる太鼓橋、無理に登らなくても周りには平坦な道もある。
私は、お母さんが急坂はキツイと思って避けて歩いていたのに、なんだよ。
息子の優しさがわからないのか!イラッとしながらも。
まあいいか、本人が言うなら行ってみよう。
けっこう急だから、そっくり返らないようにお母さんの後ろから登る。
フーっと頂上到達。
これが頂上からの景色です!
けっこう高いでしょ!
当時スカイツリーはなかったけど
どこを眺めるでもなく
じーっと立ち尽くす
お母さん。
私はボケちゃったのかと思うくらい
長い間ボーっとしてから
お母さんが言った
ここ、ここ
ここでよーく写真を撮ったのよ
あんたたちと!
私には見えなかったが…
太鼓橋の上に若かりし頃のお母さん、子供の兄、そして抱っこ抱っこと甘えん坊の私、亡くなったおばあちゃんが…
いたのかもしれない。
お母さんには見えていたのかもしれない。
つづく
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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コメント
コメント一覧 (2件)
ワニオさん親孝行できましたね。神様が導いてくれた様な。お母様、78歳とは思えないくらいしゃっきとされてますね。私の母は74歳で膝が痛いとぼやいてます笑 お母様は昔の場所がなくなって残念ではありましたが思いがけず懐かしい場所に行けてうれしかったでしょうね。40年ぶりといえども一緒に歩くことさえしない人もいるのでやっぱりワニオさんはいい息子です。私の実家は北海道なのですが若い時は1.2年に一回帰省していましたが父がなくなってからは1年に2回は帰省するようになりました。生きている間に親孝行はしたいですもんね。親の話はグッときます。次回も楽しみしていますね。 めめ。
めめ様コメントありがとうございます。
めめさんのご実家は北海道なのですね!帰省するのも大変だと思いますが、年に2回も帰っているというのは、めめさんもとても親孝行な方だと思います。お母様も待ちに待っているでしょうね。
北国の女性はみんな美人だと勝手に想像しています。まったく関係のない話でした。