母親の選択 【第1話】 嫌な予感

当ページのリンクには広告が含まれています。

当たり前のようにあった家族の時間

そんな家族のカタチも時と共に変化する

家族が変化したのか私が変化したのか

わからない

物事に始まりがあれば終わりは来る


父親がまず始めに家族を脱退

そして兄が脱退

残った2人

お母さんと私

ここから話は始まる

誰にでも母親はいる、命をかけてこの世に送り出してくれた女性。
自分の人生を削って育ててくれた人。
初めてお母さんの人生を考えた19才おバカな息子がここにいた。

スポンサーリンク
目次

新社会人

私は、高校を卒業後すぐに就職、家が裕福ではなかったので進学を考えることもなく働くことを選んだ。
とはカッコよく言ったものの勉強が嫌いだっただけ。

時は
1993年(平成5年)

私、19才
母、48才

1993年(平成5年)ヒット曲

順位曲名歌手名売上枚数
1位YAH YAH YAHCHAGE&ASKA240.8万
2位愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけないB’z193.2万
3位ロードTHE 虎 舞竜188.7万
4位エロティカ・セブンサザンオールスターズ171.7万
5位裸足の女神B’z165.3万
6位負けないでZARD164.5万
7位時の扉WANDS144.3万
8位真夏の夜の夢松任谷由実142.1万
9位揺れる想いZARD139.6万
10位世界中の誰よりきっと中山美穂&WANDS132.6万
引用元:年代流行

ドラマ全盛期でもあった、「ひとつ屋根の下」「高校教師」「あすなろ白書」「振り返れば奴がいる」

今みても豪華メンバーだ。

懐かしさのあまり脱線しすぎました。

お母さんと2人になった高校時代

最後までお母さんと暮らしたこんなアパート(イメージ)

なんとも懐かしのボロアパート、学校のやつによくバカにされた。今となっては貴重な経験か?

私が中学生になった時からお父さんはあまり帰ってこなくなっていて、それまでお父さんとお母さんはケンカばかりだったから、それも嫌ではない。

でもたまには帰ってくる。

夜中に帰ってきて、朝は私が学校へ行く時間になっても寝ていたから会話などはまったくなかった。

私はしっていた、お父さんとお母さんが話し合って、私が高校生になるまでは離婚をしないようにと。すでに夫婦は破綻していたようだ。

兄は5歳年上で私が高校生になるころには就職をして家を出たと思う、なぜか兄の記憶はあまりない。

そうして、私が高校生になるころからお母さんと2人の生活が始まった。

狭いボロアパートだったので、自分の部屋もプライベートもないが、お母さんは私を自由にしてくれたし、お母さんも正職として働きだしていたので学校が早く終わった日はボロアパートが自分の部屋と化した。

高校生のプライベート豆エピソード

クラスのやつが手に入れた宮沢りえの『Santa Fe』
欲しかったけど恥ずかしくて買えなかったサンタフェ!
やっと私のもとに回ってきた時には学校をバックレて、お母さんが帰ってくる前に、熟読。
人気のあまり1日しか貸してもらえなかったから仕方ないよね、よね。

これがあれば十分!

いたって真面目な高校生でした



あんがい快適なお母さんとの2人暮らしだ。

自由過ぎる高校生活はこちら

後に、お母さんが働いた工場事務にて、私とお母さんの2人生活に思いもよらない出来事が起きる。
それはもう少し先で。

お母さんとの日常

私が就職をする時、お母さんはしきりに進学はしなくていいのかと気にしていた。お金なら借金してでも行かせてあげるからと。

実はお母さんの給料明細を見たことがある、手取りで14万円ほど。家賃だけでも3万円だったし、そんな思いをさせてでもやりたいことなどなかったので、就職を選んだだけ。

もちろん大学や専門学校に行った友達は羨ましかったことは確かだが。

お母さんに負担はかけたくなかった。

就職祝い

4月1日から隣町の倉庫で働くことが決まった。給料は総額25万円。お給料は良かったほうだと思うが当時は3K(キツイ、キタナイ、キケン)といわれ敬遠されている職種でもあって、これくらいの給料は妥当だったかな。

港湾のフォークリフトでの倉庫作業



高校を卒業し3月も終わりに近づいた頃、お母さんがあらたまって言ったんだ、

「あなたのためにとっておいたお金、就職のお祝い。進学できるだけのお金は作れなかったけど、好きに使って、ごめんなさいね」

封筒には30万円入っていた。

もちろん、いらないと拒んだけど、お母さんはガンとして受け取らない。

ならと

大好きなオートバイを買い替えた!(ここがおバカなんだよね)

オフロードバイクだ!

オートバイのエピソードはこちら

通勤はこのバイクで通った。

お給料が出てから毎月、お母さんにお小遣いという名目で5万円づつ返しました。半年かかったけど。

団地に警察!嫌な予感が

ほどなく社会人になった私とお母さんの生活は続いた。

お互いに仕事は17時に終わるけど、私はオートバイで隣町より真っ直ぐ帰るので17時半には家に着く。

お母さんの職場は地元、車で通い、帰りは買い物に行き銭湯にも入ってくるので(家は風呂なし)、1時間後の18時を過ぎる。

お腹を空かせてお母さんの帰りを待った。19歳の大人子供、ジッとお母さんの帰りを待つ。

えっ、私のお風呂?流し台に乗っかって器用に洗った、仕事で汗だくになったのに。でも3日に一度は銭湯に行った。と思う。

コレコレ!この上に乗って体を洗うのは至難の業だったな~。今では給湯器もレトロだ。31年前。何はともあれ股間だけは清潔に保つ!なら銭湯へ行け。

スーパー木田屋

お母さんが帰りに寄るスーパーは木田屋という地元ならではの小さいスーパーで、子供の頃はお母さんと手をつないで一緒に買い物に行った馴染みのところ。

その頃からやたらとお母さんはイカフライばかり買っていたのは謎だ、私は嫌いだったのに、かたくてゴムみたいな紐がビローンってなるから、パッチンってなるし。



木田屋の隣には汚い団地が並ぶ。



お母さんは、ほぼ毎日そこで買い物をして帰ってきた、お互い大人になると平日はお惣菜、週末などは手の込んだ料理なども作ってくれたけど。私もお母さんも晩酌をするわけではないからササッと食べ終わる。そして必ず旬な果物を出してくれた。ほとんど会話はなくジッとテレビを観ながら。



ある日、お母さんがいつもより早く帰ってきた!

「木田屋の横の団地に警察やら消防車やらがいっぱいで買い物できなかったわよ!」

それを聞いてなんだか胸がハッとした!

「あんた覚えている、ゆみこちゃん?」

そうだ!

その団地には

昔、同じアパートにいた

幼馴染のゆみこが結婚して住んでいると

噂は聞いていた

ゆみこは3つ年下の今は16歳

もう何年も会ってはいないけど…


子供の時の思い出が頭に浮かんだ、嫌な予感と共に。

ワニオおにいちゃーん!!


つづく





スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (2件)

  • ワニオさん そんな過去があったんですね。
    ご家族のことはいろいろあったようですが、今のワニオさんがあるのはそのためだったんですね。この人に任せていたら大丈夫‼︎ってXのポストから伝わってきます😌

    • めめ様コメントありがとうございます。
      いろいろな家族のカタチがありますね、高校生からの人生は学びの連続でした。もう少し続くのでお付き合いくださいね。

コメントする

CAPTCHA


目次