5歳の僕が、幼稚園に行きたくない!走りたくない!泣いた理由

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昭和54年
私が5歳の時に起こして

しまった
幼稚園ドン引き物語です

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目次

入園前の遊びとは?

私には兄がいるが、5歳も離れているので一緒に遊ぶことは少ない。

生まれてからずっとお母さんと遊んでいた。

まずは「ちょっとだけよ」遊びだ。

そうです、伝説の8時だよ!全員集合!の加トちゃんがピンクのライトに照らされて、
「ちょっとだけよ~」「あんたもスキね~」というコントのまね
お母さんが「ちょっとだけよ」と私のおちん○○をちょいと触る、

わにお

あはははははははは
あはあは

私がお母さんのおっぱいを
「ちょっとだけよ」と触り返す。
この繰り返しなだけなのに、笑いが止まらなかった。
大人が書くとひわいだが、ママとおこちゃまの遊びだ。

そして、外でコンニャクボールとプラスチックバットによる野球、お母さんが投げて私が打つ、アパートの前をくるっと走りボールを持ったお母さんにタッチされると負け。

お昼ご飯は、電気の抜けた炊飯ジャーに冷たくなったご飯があり、そのお釜のご飯を水洗いして、たくあん投入して、台所でお釜のままお母さんと2人で手づかみで順番に食べる。
シンプルで、はしたないが、おもしろくて最高に美味しかった。

食べたら昼寝、エアコンはもったいないからと、風通しの良い場所を選んで寝ていた、始めは隣にお母さんがいるが、必ず起きるときにはいなかった。

わにお

だから
ご機嫌ななめになるんだよ

お母さんが見えなくなるのが不安でトイレの前までついて行く始末。

そんな日々も終わりを告げる、そうです幼稚園に入園です。
(お母さんはほっとしてたかな?)

幼稚園行きたくない

泣く
わにお

ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!
行きたくない!
お母さんと離れたくない!
うえ~ん!うえ~ん!

今でもお母さんの困った顔を憶えている。
とにかく泣いた、泣き叫んだ!
だって、海外旅行に行ったことない
日本人が、いきなりアマゾンの奥地にぽっつん一人置かれたら、そりゃ泣くでしょ。

なんで幼稚園に行かないとダメなのかがわからない、それまでを考えたら
お母さんがいない日常なんてなかったんだから。

もしかしたら、幼稚園に送ったきり
二度とお母さんに会えなくなるかも、このまま捨てられてしまうのかも、
と本気で思っていたんだ。


今でもはっきり憶えている。言葉にできない子供の心。

わにお

僕は家族やお母さんに捨てられて
世界の迷子になるんだ!
今、このお母さんの手を離してしまったら
ずっと独りになるんだ!
怖いよ、手を離すのが怖いよ!




泣きながら手を引っ張られ幼稚園に行くが、そっから意地でも離れない、チャイムが鳴り園庭から誰もいなくなっても離れない、げた箱から泣き叫んで動かない!

お母さん参ってたかなぁ。

こんな時に救世主、担任の先生が優しかった。

「わにおちゃんがさみしくなくなるまで抱っこしててあげるから教室に行こう」

わにお

・・・・・・・

わにお

・・・・・・・

わにお

うん

そういうものです。テヘッ!
ピッカんぴっかん!!
先生だ~い好き❤(げんきんだね)

先生抱っこ

毎朝1時間くらいは抱っこしてくれました、保育もしながら大変だったと思います。

先生その節はありがとうございました。

子供の成長は早いもので、みんながワイワイ遊んでいるのに、抱っこされている自分が恥ずかしくてなって、自ら先生のお膝を降りましたよ。

わにお

もう大丈夫!
先生!
今まで抱っこ
サンキューな

なーんてね。
慣れたらすぐ調子に乗るやつ

人生初のリレー

リレー

幼稚園にも慣れてきた時にリレー大会が開かれた。

小さな園庭のトラックを1人一周走る学級対抗リレーだ。

もちろんみんな初めてのことだろう、まずは先生たちがお手本を見せる、
バトンなるものを「ハイ」と言って次の人に渡す、もらったら一生懸命に走る、前の人が走り出したら次の人スタンバイ、という流れ。

当時の幼稚園は人数が多く、
ひとクラス30人で5組もあった。

私は先月まで抱っこされていたのだが、実は身長が高いのだ。

背の順番で一番後ろなので、なんと
アンカー!

人生初のリレーで初のアンカー、しかも先月まで泣き虫だっこちゃんなのに。

リレーが始まった!

わにお

みんな速いな
僕も一生懸命走るぞ

それでも子供なので、大差なく進みアンカーまできた!

わにお

ドキドキ
ドキドキ

そこでトラブル発生

私の前の子が転んでしまったのだ!

他のクラスはアンカーにバトンが渡り走っていった。

転んだ子は泣いている、先生たちが駆けより怪我の確認。

わにお

早く
早くしなければ負けちゃうよ
僕頑張るから早くきてよ!
まだ勝てるよ!

私は独りスタート地点でぽっつん、そうだこの孤独感、ぽっつんだ。

わにお

・・・・・・・・

転んだ子が起き上がって走り出す頃には他のクラス全てゴールしていた。

わにお

僕一人になった、
もう走っても勝てないよ
僕のせいじゃないよ
でも最後が僕だから、
僕がみんなに怒られるんだ!
みんなズルイよ
最後の僕のせいにするなんて!
僕、何もしてないのに怒られるの嫌だよ

なぜか負けることが悪いことだと
思っていた、勝てる子はいい子で
負ける子は悪い子。

そんな話はしてないが、勝手にそう
解釈していた。

先生たちは転んでも走る子に
「頑張れ」コール!

走り終わった他のクラスも一緒になって「頑張れ」コール!

私はスタート地点でぽっつん!!

わにお

・・・・・・・

転んだ子はみんなに拍手され
「頑張れ」コールされて私にバトンを渡す!

これは大人でも走りづらい
シチュエーションですよ。


バトンを渡されたわにお!
負け確定のリレー!

5歳のわにおがとった
行動とは?
※こちらをクリックしてください!

バトンをぶん投げた!!



園庭が一斉にシーン

先生たちは目を丸くしていた。

先生が走ってバトンを取りに行く
(きっと何かの間違いで投げたのね、てきな!)間違いじゃない。

先生が私に渡すが、そのまま下に叩きつける。

わにお

僕、やらないよ!
走っても負けだもん
僕が悪いんじゃないよ
転んだ子が悪いんだよ

わにお

走ったら
僕がみんなに怒られるんだから
僕はわかっているんだぞ!

全クラスの先生が私のもとに駆けつけて、説得を試みるが無駄!

確かに私が走らないと終わらない、

先生は言ってた
勝ち負けではなく、一生懸命に走ることが大事なのよ、
さあ頑張って走ろう」

そうですね、今はわかる。

でも子供にはわからない、

前の走者が悲劇のヒロインならぬ悲劇のヒーローで、勝敗のわかっている
リレーの最終走者の走りを誰が
見るのか?
誰も興味のないトラックを一生懸命に走る私は恥をかくだけ、公開処刑のようなものだ。

本気で思っていたんだ。

確かに先生の顔色を見て、すごい悪いことをしたのかなぁ、とも思ったけど、後には引けない。

最後の手段

わにお

う、う、う、
うわー--ん
え~~ん
走ら ヒック 

ないもん ヒック
うわー-----ん

泣き叫ぶ!

言葉を知らない子供ができる最後の自己主張 泣く

そのまま私は園庭の隅に連れていかれた、リレー大会は途中で終了。

隅っこの外階段で、担任の先生と
おばあさん園長に両サイドをかためられ、
「なぜ走らない?」
「なぜバトンを投げた?」
「なぜ諦めた?」
「何を考えてるのか?」

すべてわかっていた!先生たちがこんなことする子は要注意人物なのではないかと疑っていることも、ヤバい子なのかもと疑っていることも。

ふたりの顔色でわかっていた。

でも難しすぎて言葉がわからないんだ、自分の気持ちを伝えることができないんだ。

走るまえの気持ち
バトンを投げた罪の重さ
説得をきかなかったこと
先生たちの疑いの眼差し

すべてわかって
いたんだ

ただ表現できる手段が
ひとつしかなかったんだ

泣く

ことしか

43年たった今なら言える

先生
ごめんなさい

おとなになるに連れて、人は泣かなくなる、それは自分を相手に伝える術(すべ)を知っていくからだろう。
子供が泣く ひと言だが、
涙の中には100万通りの意味が
ある事を私は伝えたい。



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ここまで読んでいただきありがとうございました。

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