親孝行!
そんな大げさなものじゃない
子供の時は一緒にいるのが当たり前で、
一人じゃ何もできなくて、
なのに
存在すらうざいと思う時もあったり、
自然に離れていき
時が経ち
また
近づきたくなった。
自分から離れていき
自分から近づいていく
誠に勝手な息子のお話
後編です。
\前回のお話はこちら/
孫と娘の行動範囲
亀戸天神の太鼓橋で、お母さんと思い出話をし、景色を堪能してから、さあご飯だ。
「お母さん、なにか食べたいものある?」
「お母さんは何でもいいわよ」
お母さんは年金一人暮らしだから食事は質素のはず、こんな時くらいは美味しいものを食べさせてあげたいと思うのは息子の親孝行だ。
天ぷらとかお寿司とか…今日はご馳走してあげようと思ってお小遣いも多めに持ってきている。お財布の中には2万円、偉くなったもんだ。
私は小学生の時、よくこの亀戸(おばあちゃん家)にお泊りにきていた。夏休みなどは一週間泊まることもあったり。おばあちゃんにとって孫は5人いるのだけれど、なぜか私はおばあちゃんとウマが合い、1人でよく泊まった。その間お母さんは楽だったかな。おばあちゃんとの体験記はまた今度。
さんざんおばあちゃんと2人生活をした最後に連れていってくれた場所がある。
それが駅前にあった、「回転寿司」。ウナギの寝床のような狭い狭い回転寿司だった。
40年以上前には、とても珍しかったと思う。回転寿司ってお寿司の敷居を下げたよね。
私は、お皿が流れてきて、しかも好きなものだけを自由に食べられる夢のようなシステムに歓喜、まさに夢の国だ。
だって子供の時は、出されたものは黙って全部食べなさいという時代だよ。好きなものだけをお腹いっぱいなんてない。
しかしだ…
楽しいおばあちゃんとお別れの、せつない気持ちも醬油に混ざって。
複雑に胸キュン回転寿司の話でした。
私はそこに行ってみようと思っていたのです。
あつくお母さんに、おばあちゃんとの思い出を語ったけど、お母さんには、私とおばあちゃんの思い出の場所はリンクしていないようなのだ。
ここが、今回お母さんとのお散歩で知ったことでもある。
どうやら、おばあちゃんは孫と娘とは行動範囲が違うようだ、当たり前なのかな?
亀戸天神を出て、駅前に向かう。
豆やと鳩
亀戸天神から駅前に向かう途中の、大きい交差点にはおまめ屋さんがある。
お店の前には広い踊り場があり、そこにはわんさかと鳩がいたんだ!
そう、それは昔の話。
おばあちゃん家に行く時には必ず通っていた道。いやむしろ、そこが通りたかったんだ。
ただたんに鳩を追い回すために。やつらは絶対に捕まらないけどね。何回もトライしたけど、あいつらすばしっこいのなんの。鳩が平和の象徴なんてことは、後に知ったこと。
昔は、お豆を買うとお客さんが鳩におすそ分けをしていたのだろう。
そして現在…
おまめ屋さんはあったがお店は閉まっている、営業しているのかは定かではない。
しかもお店の建物、鳩がとまれそうな場所にはイガイガ針がついていて、鳩を寄せ付けない設備が!
これも時代だろうか、鳩被害、近所迷惑、もしくは歩いている人の頭にフンが落ちて裁判沙汰になったとか。
それべもしぶとく、3羽だけはご健在だった。
世知辛い世の中になったよね、鳩さんにも。
懐かしの回転寿司
昔からの場所に申しわけなさそうにあった!
回転寿司
すごい!タイムスリップしたようにあの頃のままだ。
早速、お母さんと店内へ!
時間はお昼、
あれ?
もともと狭い店内だけど、やけに広いと感じるのはなぜ?
って空いてます。
お年寄りがチラホラいるだけで、お寿司もほとんど回ってはいない。
祭日のお昼だというのにだ。
昔は狭い店内の、食べているお客さんのすぐ後ろで並んで待ったりしていたのに。いや、それも今考えたら非常識な状況だよな、目の前で早く食べろとせかしているようで。
これこそ時代の流れなのかもしれない、回転寿司はチェーン店の価格にはかなわないし、高級すし屋さんとも違う。でも続いているということは地元に愛されている証拠ですよね。
地元に愛されているが故の問題だろうか?常連的なオッサンがペアで昼間っから吞んでいる、それも2~3カップル。楽しそうにわがもの顔で。これではファミリー客は入りづらいだろう。
老舗の問題点だな、私も初めてだったら、中を見てすぐ帰ると思う。
しかもカピカピのしか流れていない。
もちろん注文すれば握ってもくれるけど。
子供の時は引っ込み思案な私、食べたいものをおばあちゃんにそっと耳打ちして頼んでもらったけど、今は違うぞ。
お母さんには少しでも新鮮なものを食べてもらいたいから、お母さんの好きなものをたのんであげよう。
て考えるけど、お母さんの好物すら知らないことに気づく。
「お母さん、何食べたい?」
「えんがわ食べたいわ」
頼んではみたものの、残念なお寿司だったかな…
握っている大将はかなりの高齢、もしかして、昔も握ってくれた人なのか?
熟練の技もピークを超えて、かなり時間が過ぎた握り寿司に仕上がっている。いや、シャリの大きさがまちまちでアジがある。
でもあの頃の思い出のまま、ここに残っていてくれたことに感謝。お母さんとも食べられたし。
お母さんは「やよい軒」に行きたかったみたいだけど。
やはりくず餅
食事を終えてお会計。
お母さんはお財布を取り出すが、そこを制止して「俺がだすから」と、大人になったなぁ~と自分に酔いながら、2880円のお代を払う。安い!
安いのではなく、親子で少食でした。
私8皿、お母さん5皿。
お母さんはやたらと、「ありがとう、ありがとう、ごちそうさま」と頭を下げた。子供の頃の私たちは、親が出すのが当たり前で、お会計をするお母さんなんて見向きもしなかったのになと思う。
「お父さん、お母さん、おいしいお食事を食べさせていただき、誠にありがとうございます。感謝しております。」なんて言う子供はいないだろう。そんなもんだ。
と、お母さんはお会計をする私の後ろでしっかり待っていた。
子供の頃と立ち位置が逆転。
これが親孝行というものだろうと、調子に乗って店を出る。
そして気分よく、
「お母さん、どう?駅前でコーヒーでも飲んでいかない」
こんなこと、お母さんに生まれて初めて言った。
生まれて初めてだから、少しばかり勇気もいったし。
恥ずかしくもあり、いかにもお母さんをねぎらっている感もあり、なんか、らしくないこと言っているなとも思ったけど。
恥ずかしがりながらも言った。
「喫茶店でコーヒーでも飲む?」
返ってきたお母さんの返事は?
あんた
お母さんと話したいことあるの?
お母さん洗濯物干してきているから
コノヤロー!
(心の声)
あれ!
っと思ったけど、学生時代のお母さんと私だった。
この距離感が一緒に暮らしていた時の距離感だ・・・
ハッキリ言って、お母さんがもうすぐ亡くなってしまうようないたわり感が私にはあった。
ふと気づく!
なんだか、そのクールな一言が、
お母さんは
ずっと元気に
あなたの
そばにいるのよ
心配しないで
いいのよ
と、言っている気がして。
昔の
お母さんとわたしの時間
に戻った瞬間だった
「うん、別に話したいことはないけど」
高校生の私だ。
ふっと笑いながら駅に向かう。
亀戸駅には、船橋屋のくず餅の売店がある。お母さんは買っていた。1番小さいやつ。
それも買ってあげようと思ったけど、さっきの発言で昔の親子に戻っていたのでスルーだよ。
逆に私の分も買ってもらおうかと思ったくらい。やはりさっきの辱しめを根に持っている(笑)
座っていいの
午後1時過ぎの電車は空いている、ガラガラだ。
亀戸から西船橋の間はお母さんと一緒の電車。電車に乗り込むと車両1番端の3~4人席にお母さんは座る。
私はお母さんの前に立ってつり革をつかんだ、それが昔からの定位置だから。
幼稚園くらいの時は靴を脱いで窓の外を必死に眺めていたけれど、小学生にあがるころには、「子供は立ちなさい」というお母さんの教えだ。バスも電車も。だから私は立って乗る癖がついていて、ほぼほぼ座らない、空いていても。
電車の魅力は流れる景色だったな
お母さんの前に立つのも懐かしいと思いながら、外を眺めると、いい天気で、最高のお散歩日和だったと幸せホルモンに包まれている私に、お母さんがふと言った。
「ほら、あんたも座りましょ」
厳しかったお母さんは何処に行ったの?と思いながらも黙ってお母さんの隣に「よっこらしょ」と座る。
そして、無言のまま電車は進む。
どこにいったアルミホイルおにぎり
私はポカポカ陽気や親孝行の満足感にウトウトとしている。お母さんはしっかりと向かいの窓の外を眺めているようだ。
一つ目の駅に着いた時、ママと3歳くらいの男の子が乗ってきて、私たちの向かいに座った。
どうやら子供はおなかが空いているみたい、
「おなかすいたー」「おなかすいたー」「おなかすいたー」の駄々っ子連呼だ。
なんとも微笑ましい光景、これを見て私は自分の子供が小さい時を考えてしまう。
反抗期の高1次男もこんな時があったなと。
でも隣に座っているお母さんを見ると、私もこうだったのかなと。自分の子供時代に考えを飛ばす。
頭の中が忙しい!
親としての私、息子としての私!
子供の駄々に困ったママさんは、バッグからタッパーを取り出してお菓子を食べさせた。
\私も好きだったなコレ/
ピタリとおとなしくなる。
さすがに私が子供の頃はたべっこ動物はなかった、でも変わりはあったよな。
おにぎりだ!
お出かけの朝にちゃんと家でご飯を食べないから、行く途中で必ずおなかが空く。
駅のホーム、電車の中、お出かけ先。
そんな時にお母さんが出してくれたのが、おにぎり。
アルミホイルで包まれたおにぎり。具は醬油でカチコチになったおかか。梅干しは食べられない、酸っぱいから。
そうそう、アルミホイルで包まれたおにぎりって最近は見なくなった?少なくても妻がアルミホイルでくるんでいるところを見ないぞ、サランラップだ!
あれ?当時はサランラップってなかったのだろうか?
たしかにアルミホイルは、嚙んでしまうとキーってなるし、ご飯がやたらとついてしまう。ご飯だらけのまんまギュウウウと固めて捨てることもあったし。不便だったかもな。
不便ではないとすれば、みんなのアルミホイルをまとめ、丸めてキャッチボールができたことくらいか。
とか考えながら電車は進んで行った。
じゃあね
そんなお母さんとわたしの時間も終わりをむかえる。
電車は西船橋に到着。
ひとつ前の駅を過ぎたあたりから、お母さんは、
「ありがとう、あんたのおかげで楽しかったわ、自分では行きたくても行かなかったと思うから。ホントに感謝だわ、ありがとう。お母さん幸せよ」
さっきの駄々っ子のように同じ言葉を連呼していた。
「うん、俺も楽しかったよ、お母さんの子供でよかった、ありがとう」
と心で言って、頷いた。こういうことって言えないよね。
お母さんは早めに立ち上がりドアの前へ。
そしてドアが開くと同時にこちらを振り向きもせずに降りて行った…
やはりお母さんはクールだ!
ドアが閉まり、電車は走り出す…
電車のボディーで隠れて見えなかったが、お母さんは立ち止まって小さく手をふっていた。なんだよこの演出は!
それを見たときに思い出した、
中学生の時、喧嘩をして病院に運ばれてお母さんが迎えに来てくれたこと、でも家には帰らず学校へ向かう私に、私が見えなくなるまで手をふっていたお母さん。
あの頃よりだいぶ年とったね。と同時に涙がこみ上げて。
ギュッと奥歯を噛みしめてイヤホンを耳に入れた。
こんな時もあった
こんな時だって
おかかのおにぎりと
やたらシャウエッセン
1日の散歩のなかで、ちょいちょい訪れる、あの頃のままだったお母さんと私の距離感。
ずっと私のそばにいてくれるのではないかという錯覚をおこす。
そう思う度に
お母さんの背中を見つめ
鼻の頭がギュウウウッと痛くなる、冬の涙は鼻を痛めつけるようだ。
いつかは
別れる時が必ずくる
わかっているけど
わからないふりをしようかな…
お母さんとわたしの時間
さあ!家に帰る前に
一家の主、
父親にシフトチェンジだ。
終わり
お母さんが手を振り続けていた、中学生のケンカエピソードはこちら
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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コメント
コメント一覧 (2件)
お母さんクールだからこそぐっときますね。クールだけど手を振ってるてさらにぐっときました。喫茶店でコーヒー飲んでいくのところ面白かったです。ワニオさん頑張って言ったにに軽くあしらわれて、、、。でもすごく、すごく伝え方は不器用ですがお母さんはとても喜んでいますね。ワニオさん、私も思いますいずれ母との別れがくる。若い時はあんまり考えないんですよね。自分も年を取ったことで子供を思う気持ちとか母はこんなこと考えていたんだろうなあとか母の気持ちを考えるようになりましたね。来週実家に帰るので親孝行してこようかと思います。ところで男の人は母親の似た人を嫁にするという説があるのですが似たところがあるのでしょか? 次回作も楽しみにしています。 めめ
PS ぽちっと押すと励みになると書いてますがどこを押すのかわからなかったです すみません
めめ様コメントありがとうございます。
めめさん!そうなんです、母親は昔からクールな中に優しさが隠れていて、物事の済んだ後から「そうだったのかぁ」と心にグッとくることがおおかったのです。
えっ!妻に関してはノーコメントにと思いましたが、まったく似ておりません!どちらかと言うと正反対です(笑)どうしてでしょうか?
ご実家に帰られた際はたっぷり親孝行をしてください。お気を付けて。