スタンド・バイ・ミーに憧れて 【お母さんと俺】 中学2年生 <第4話>

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何歳まで?

おぼえていますか?

お母さんに抱っこされて


泣いたこと

幼稚園の時は泣いたかもしれない


泣くことはあるけれど

お母さ~ん抱っこ

え~ん え~ん

そんなこと男ができるか!!

と頑張っていた男子の話です


\シリーズ第1話はこちら/

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目次

お母さん

今までがまんしていた涙が止まらない。


学校で2時間目の体育の時間が始まり、イジメられている友達を助けるために必死だった。でもそこから4人がかりでめった打ち、死んでしまうかもという恐怖、身体の痛み、イジメがあったことを理解していない大人たち。


迷子になっている。


俺、ホントは弱虫なんだ、小さい頃お母さんとデパートに行く時も、迷子にならないようにお母さんのスカートを掴んでいたし、電車に乗る時も必ず手をつないでいた。


でも今は、迷子になった子供のように、心細くて不安でジェットコースターのてっぺんから勢いよく降りていく時の感覚。口から胃が出ちゃいそうな。


それら全てを、お母さんが包み込んだ。



息を吸うたびにしゃっくりのようにヒックヒック嗚咽も止まらない。


病院の受付の前ということも忘れて、夢中で泣いた。


お母さんは羽織っている緑色の幼稚園児が着る園服みたいな事務服の、一個だけあるポケットからティッシュを取り出して、俺の流れ出ている鼻水をおさえてくれていた。硬いティッシュが痛い。



お母さんの胸で泣きながら思い出していた。


お母さんは昔から貧乏性で、同じティッシュを何回も使う。くしゃくしゃになってカピカピに硬くなっても使う。エプロンのポッケにも入っていた。


だから泣いて抱きついても、すぐに拭いてくれる。鼻の下が少し痛かったけど。


どれくらい泣いていたのか分からない。出てくる涙が少なくなった時ぼやけていた視界がクリヤーになっていった。


目に入ったのは、色が変わるほどびちょびちょに濡れているお母さんの事務服、背中をさすっているお母さんの手、お母さんの膝の上に散らばった俺の抜け落ちた髪の毛。


この後お母さんは仕事場に戻るのに、こんなに濡らしちゃってどうしようと思った時に、冷静になれた気がする。


お母さんの胸から離れて座りなおして、膝の上に肘を置いて少し前かがみに。


受付の看護師さんにクシャクシャの顔を見られたくなかったから。


クールなお母さん

お母さんがくれた、ティッシュは何の役にもたたないほど濡れてちっちゃく紙粘土のようになったから、自分のシャツの胸元を引っ張って顔を拭く。痛い。腫れている唇も乾いてピキピキと傷が開く。


今気づいたが、白い体操服のシャツも鼻血で汚れているし、首元がびろんびろんになっていた。殴られ過ぎて夢見心地の時に引っ張られまくったのかは覚えていない。


深呼吸をして顔を上げてちゃんと座りなおして。前にある受付の看護師さんを見る。


もう湿布の準備はできているはずだ、だってガラガラだから。


看護師さんも俺を見ていて、目が合った。


今思い返すと不思議だけど、看護師さんは俺にお母さんとの時間をくれたような気がする。そう感じた。お母さんに話しなさいと言っているような。


隣で抜け落ちた俺の髪の毛を拾い集めるお母さん。


俺は目を閉じて深く深く深呼吸をして話をした。


今まであったすべてのことを。


「あんた頑張ったね、よく頑張った。お母さんは嬉しいわ、あんたがまっすぐに育ってくれて」


とお母さんはクールに言った。


俺はその時そう感じたけど、お母さんがどんな気持ちだったのかは今も分からない。

小さい頃からいつもそうだ。
お母さんは偉そうなお説教をすることもない、大げさにビックリすることもない、クールにシンプルに、「うん」「そーなのー」「あら」としか言わない。
でも目は温かかった。
こっちがヤバイ怒られる!!と思っていても拍子抜けするくらいサラッとしていた。



お母さんには全部を話した。


そして傷ついてボロボロになった俺がその時考えたことは。

この話は
もう誰にも

話さない

決めたら頑固な俺、この決断が後に・・・・

ハムスター

お母さんに話をした後、沈黙が流れる。


受付の看護師さん、長椅子に座る俺とお母さん、それぞれに違う所を見ている。


俺は、ぼーっとお母さんのことを考えた。


ずっと専業主婦でいたお母さんが最近働きだし、車の免許もとった、まだ女性が車を運転することが珍しい時代。お父さんがあまり帰ってこなくなったことが関係しているのかはわからないが。


仕事を始めてイラついていることも多かったが、子供の暮らしには何も支障がなく、この歳から働くのは大変だったと思うけど、いつも普通だった気がする。


この時思い出した。


幼稚園の年少さんだったと思う。


周りのお友達でハムスターを飼うことが流行ったことがあった。


もちろん俺も飼いたくなる。お母さんにお願いしたことは言うまでもない。


潔癖症のお母さんは、始めは拒んでいたが、俺は泣いた。

わにお

え~んえ~んお母さんお願い


「お母さんは、あんたの泣き顔を見たくないのよ」


お母さんはよくこう言っていた。俺はわかっていて泣いている。作戦。


家からは、線路を挟んだ反対側の自転車でも30分はかかる場所にペットショップがある。


夏の暑い日曜日に、お母さんが自転車で連れて行ってくれた。




ペットショップに着いてすぐ、俺は大きく平べったいダンボール箱に入ったハムスターを眺めてワクワク。


ペットショップのおじさんにお母さんはハムスターの飼い方を一生懸命に聞いてくれた。


おじさんは元気なハムスターを選んで持ち帰り用の小さな箱に入れてくれて、お母さんは飼うためのゲージとエサを選んだ。たしか当時のハムスターの値段は350円だったと思う。(ゴールデンハムスター)


そしてまたお母さんの後ろに乗って家に帰る。




お母さんがゲージを組み立てて、クルクル回るハムスターが運動できるおもちゃに、ちゅうちゅうお水をのむスポイトみたいなやつをセットしてくれて、ハムスターをゲージに移した。


ハムスターで流行っていたのは、手のひらにチョコンと乗せてエサをあげること。


俺はゲージに手を入れる。


がぶっ!!!!!

わにお

うわーんうわーん!
嚙まれた!
お母さーん痛いよー


また泣いた。


ペットショップのおじさんが選んでくれたハムスター、元気良すぎて狂暴だった。

わにお

こいつヤダ、お母さん、このハムスター嫌い
手に乗ってくれないからヤダ!
ワニオはね、ホントは違うのが欲しかったのに
お母さんが勝手にこいつ買ったんだから!
取り替えてもらってよ!!

わにお

え~んえ~ん
ヤダヤダヤダヤダ!!


暑い夏、30分、もう一度お母さんは自転車をこいだ、後ろに俺を乗せて。汗だくで。




俺が選んだのは、白くて小さくてガリガリでおとなしくて、その場で手のひらに乗せてもジッとしているハムスター。

わにお

お母さん、早く帰ろう
手のひらでエサあげるから写真撮ってね


暑い夏、30分、もう一度お母さんは自転車をこいだ、後ろに俺を乗せて。汗だくで。




家に帰って早速、手のひらに乗せてエサをあげて、ジージーとフイルムを巻きながら撮るカメラで写真を撮った。


とてもおとなしいハムスター、部屋で放しても逃げない、ジーッとしている。


次の日の朝!!





ハムスターは死んでいた















どうやら、おとなしいハムスターではなく病気で弱っているハムスターだったのだと今は思う。


わにお

え~んえ~ん
死んじゃったよ~かわいそう


「お母さんは、あんたの泣き顔を見たくないのよ」


泣きながら玄関横にある花壇に亡骸を埋めた。





ずっとお母さんを困らせていた俺、中学2年になった今も。


俺は行く

お母さんは職場に早く戻らないといけない、しかしお母さんから言えるわけがないのだって俺はわかっている。


さっきまで、はらわた煮えくりかえり学校には二度と行かないと思っていたが、これ以上お母さんを困らせることもできない。幼稚園の時はワガママ言えたのに。


お母さんさえわかっていてくれたら、後はどうでもよくなった。


「お母さん、俺、学校に戻るよ」


お母さんは心配そうな顔をしたが、黙ってうなずく。


受付の看護師さんにシップをもらい、「ありがとうございました」と深く深く頭を下げた、お母さんも俺の後ろで頭を下げていた。


病院を出ると、お母さんの職場はまっすぐ、俺の学校は途中で右に曲がる道。


病院を出て俺はすぐにお母さんにシップを渡して、ジャージズボンのポケットに手を突っ込んだ。ここからは気合を入れて大人ぶらなければいけないから。


でも姿勢を正すとあばらが痛いので、猫背気味。まったくもってジャージのヤンキーだ。


お母さんは俺の少し後ろを歩く。


曲がり角でお母さんに言う。


「じゃあね」


「はいよ」

お母さんは立ち止まって、手を振った。肘を曲げて胸の前で小さく手を振った。


つんつるてんのズボンに緑色の事務服が、やけに悲しくて。


また甘えてしまうから、ギュッと気を引き締めてお母さんに背を向けて歩き出す。


5メートルで振り向く、まだ手を振っている。


10メートルで振り向く、まだ手を振っている。


もういないかなと思って振り向く、まだ手を振っている。


なんでだよ!なんでこんなにずっと手を振るんだよ!


俺の手はポケットの中なのに、この手を出したら心が折れて学校には行けなくなるんだから。


そんなおれの気持をわかっていて、「がんばれ」って手を振っているのか。


俺はそんなに子供じゃないよ、自分で頑張れる。でもポケットからは手を出せない。


遠く小さく離れたお母さんに言った「早く行けよ」独り言。


涙があふれる。


遠回りになるけど道を曲がった。今泣いたら学校へは戻れなくなるか。





もうお昼の時間になる。


俺は気をとりなおして。ジャージのポケットに入っている手の平を拳に変えて、猫背気味に学校へ向かった。





つづく

\苦い経験の後は甘いクッキーなどいかがですか/

昭和レトログッズ
本物は高くてなかなか手が出ませんがミニサイズなら大丈夫
大人なら出来ます
ガチャガチャフルコンプ

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • お母さんってやっぱり偉大ですよね、自分が母親になって子供たちから見る私はいい母親何だろうかって思います
    ワニオさんのお母さん素敵です。クールじゃないです、愛情ありすぎます。ワニオさんを大きく包み込んでいるからクールに見えるんでしょうか。母親が何かある度に動揺する様な人だったら子供も動揺します。ワニオさんが泣きじゃくれたのも、学校に戻れたのもお母さんがぶれずに大きく包み込んでくれたからかもしれませんね。
    何度振り返ってもお母さんが手を振っている場面泣けました。どんな思いだったのかはお母さんにしかわからないですがきっとエールだったと思います。傷ついた我が子の姿は本当に辛かったと思います、でもそれ以上に人を助ける為の行動に誇らしくもありこれからもその気持ちを忘れず強く生きて欲しいという願いもあったのかもしれません。ワニオさん、素敵なお母さんでしあわせですね。うんと甘えられる場所があるって幸せです。長文失礼しました。

    • めめ様コメントありがとうございます。
      病院の後は精一杯カッコつけていました、ポケットに手を突っ込んで。振り返ってお母さんの姿を見ては、今の自分はこれでいいのかと葛藤があってみたり、お母さんに心配をかけてしまっている自分が嫌になってみたり、もう早くいなくなってくれって思いながらも、いてくれて安心したり。この物語に共感コメントをくださるめめさんは素敵なお母さんなのだと思います。心から感謝申し上げます。

  • ワニオさん
    読みましたよ。

    お母様のくだりにはジーンとしてしまいました🥹🥲
    私もド貧乏で育ちました。
    小さいときに夫(私の父)を亡くし、苦労した母です。

    • 幸様コメントありがとうございます。
      幸様のお母様は大変苦労されたお方なのですね。
      幸様もお辛い思いをされたとお察しします。
      貧しい中でも子供にそのような思いはさせじと頑張っていた母です。

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